フィリピンの国旗の意味は?色・太陽・星や、逆さ国旗についても解説

2025.10.30記事

フィリピンの国旗は、青・赤・白の3色と、黄色で描かれた太陽・星のシンボルが印象的なデザインです。しかし、それぞれの色やモチーフには深い意味が込められています。また、他国と異なり「国旗を逆さに掲げる」特別なルールが存在することも特徴です。

本記事では、フィリピン国旗の色やシンボルの由来、そして“逆さ国旗”が持つ歴史的な意味まで詳しく解説します。

フィリピン国旗のデザインの意味

フィリピンの国旗は、独立と自由を象徴する強いメッセージを持っています。スペイン統治からの独立運動の中で誕生し、国民の誇りと平和への願いを表現。構成要素は、青と赤の横帯、左側の白い三角形、そしてその中に描かれた太陽と3つの星です。このデザインには、国の歴史と理念が色濃く反映されています。

色の意味

フィリピン国旗は「青・赤・白」の3色で構成されています。青は平和・真実・理想を、赤は愛国心と勇気を、そして白は純潔と団結を象徴。この配色はアメリカの国旗にも影響を受けており、独立時の友好関係を示すものともいわれています。

また、青と赤が上下に分かれていることで、国家としての「平和」と「戦い」の両面を表現。日常時は青が上、戦時中は赤が上に掲げられることで、国の状況を示す仕組みが国旗そのものに組み込まれています。

シンボル(太陽・星)の意味

国旗の左側にある白い三角形は平等と自由を意味し、その中に描かれた太陽と3つの星が国の歴史を象徴しています。

太陽には8本の光線が描かれており、これはスペインからの独立運動を最初に起こした8つの州(パンパンガ、ブラカン、リサールなど)を表現。一方、3つの星はルソン島・ビサヤ諸島・ミンダナオ島という主要な地域を示しています。

これらのモチーフは国民の団結と希望の象徴であり、「太陽の下で平等な国家を築く」という理想を反映したデザインです。

逆さにしたフィリピン国旗の意味

通常、フィリピンの国旗は青を上に、赤を下に掲げるのが一般的です。しかし、赤を上にした状態は特別な意味を持ち、「戦争または非常事態」を示します。この伝統は独立戦争時代から受け継がれており、国が危機に直面した際に国民の結束を呼びかける象徴として使われてきました。

平時には青が上で「平和と安定」を、戦時には赤が上で「勇気と団結」を示すという、世界でも珍しい二面性を持つ国旗です。現在では実際に「赤を上に掲げる」機会はほとんどありませんが、映画や記念式典などで歴史を伝える際に使用されることもあります。

フィリピン国旗の歴史

フィリピン国旗は、独立の象徴として誕生して以来、植民地時代や戦争、民主化の変化を経て何度も形を変えてきました。その都度、国民の誇りと時代の理想を反映し、現在のデザインへと受け継がれています。

ここでは、フィリピンの国旗がどのような歴史をたどってきたのか、時代ごとに見ていきましょう。

1897年〜1898年

1897年、スペイン統治下の独立運動「フィリピン革命」が激化するなか、アギナルド将軍が革命軍の指導者として新しい旗を掲げました。これが、のちの国旗の原型とされています。

当初のデザインは、赤い地に太陽が描かれたシンプルなもの。スペインからの独立を象徴し、自由を求める意志を示しました。翌1898年6月12日、カビテ州カウィットで独立宣言が行われ、現在の三色旗(青・赤・白に太陽と3つの星)が正式に採用。この日がフィリピン独立記念日の起源です。

1898年〜1901年

独立宣言の翌年、フィリピン第一共和国が樹立され、国旗は正式な国家の象徴として広く掲げられました。青と赤の帯、白い三角形に太陽と3つの星という、現在に近いデザインが確立されたのがこの時期です。

しかし、同年の米西戦争の結果、アメリカがフィリピンを支配下に置いたことで、国旗の掲揚は禁止されることになります。独立の象徴であった国旗は「抵抗の象徴」として地下で受け継がれ、国民の心の中で自由への希望をつなぐ存在となりました。

1901年〜1941年

アメリカ統治時代、フィリピン国旗の使用は禁止されていましたが、民族意識の高まりとともに再び掲げられるようになります。

1935年には「フィリピン・コモンウェルス(自治政府)」が設立され、正式に国旗の掲揚が許可されました。当時の旗は、現在とほぼ同じデザインながら、青の色味がアメリカの国旗に近い濃い青(ナショナル・フラッグ・ブルー)に変更されたことが特徴です。

アメリカ文化の影響を受けつつも、国民の誇りと独立への願いを込めた象徴として再び国旗が輝きを取り戻しました。

1942年〜1945年

第二次世界大戦中、日本軍がフィリピンを占領すると、再び国旗の掲揚は禁止になりました。しかし、フィリピン独立を掲げた「第二共和国」が日本の支援のもとで樹立されると、国旗が復活。赤と青を入れ替えた状態で掲げられることもあったようです。

この時期の国旗は、戦時下の複雑な政治状況を象徴するものであり、同時に国民の独立への強い願いが込められていました。終戦とともに日本統治が終わり、再びアメリカの影響下に戻ります。

1946年〜1986年

1946年7月4日、フィリピンは正式にアメリカから独立し、国旗が再び国家の象徴として掲げられました。デザインは独立前とほぼ同じで、青は濃紺(アメリカ国旗と同系色)として継承されます。

その後、独裁政権マルコス大統領時代には国旗の掲揚が愛国的イベントで強調され、国民統一の象徴として使われました。1986年の「エドゥサ革命(ピープル・パワー革命)」で民主化が進むと、国旗は再び自由と平和のシンボルとして掲げられるようになります。

1986年〜現在

1986年以降、フィリピン国旗は現在の形に落ち着き、青は平和・理想、赤は勇気・愛国心、白は自由と純潔の意味が再確認されました。

1998年には独立100周年を記念し、青の色調がより明るい「ロイヤルブルー」に正式変更され、現在のデザインが確立。現代のフィリピンでは、国旗は学校や政府機関だけでなく、祝祭日や国民行事でも広く掲げられ、誇りと愛国心の象徴として国民に親しまれています。

フィリピンとデザインが似ているキューバ国旗

フィリピン国旗とキューバ国旗は、一見すると非常によく似ています。どちらも白い三角形に星、赤と青のストライプというデザインを採用しており、並べて見ると兄弟のように見えるほどです。

これは、19世紀の独立運動期に、スペインの植民地支配からの解放を目指した両国が共通の理想を掲げていたことに由来します。実際、フィリピン国旗のデザインは、キューバ国旗を参考にアギナルド将軍が考案したとされています。

白い三角形は自由・平等を、赤は勇気を、青は平和を象徴しており、両国とも「独立と団結」をテーマに掲げていました。異なる大陸にありながらも、同じ時代に自由を求めた両国の精神が、国旗のデザインにも重なっているのです。

まとめ

フィリピンの国旗は、独立・戦争・平和・民主化といった歴史の節目ごとに形を変え、今に至ります。色・太陽・星のすべてに意味があり、国民の誇りと希望を象徴する存在です。また、赤を上に掲げる「戦時国旗」という特別なルールを持つ点も特徴的。さらに、キューバ国旗との共通性からも、当時の世界的な独立運動の影響が見て取れます。

フィリピン国旗は単なるシンボルではなく、自由を勝ち取った国民の歴史そのもの。その背景を知ることで、フィリピンという国の精神をより深く理解できるでしょう。

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